浅田泰子アーティストトーク無事に終了しました。
3月28日
世界中でコロナウイルスに脅かされていますね。
皆さんは、大丈夫ですか。
本当に誰が感染者なのかわからないので、私も症状は出ていないけど、
みなさんにうつしていたらどうしよう。。。。。と不安になります。
今のところ、毎朝検温し36.3℃をキープ。
母も私も高血圧、我が子もてんかん持ちだから、みんなで気を付けています。
早くマスクが普及してほしいです。。。。。。
さて、今日は16時から浅田泰子さんのアーティストトークを行いました。
美術批評家の田中由紀子さんにお越しいただき
時間を短縮して1時間ちょっとのお話会。。。。。
みなさんには、入り口でマスクを必ずしていただき、
できる限り椅子と椅子の距離を開けて、
何かあったときのために、名前と住所をお願いして、
ちょっと寒かったかもしれませんが、入り口の扉を開けて、
喚起をよくして、行いました。

とても有意義な会でした。
約20名と程よい人数でよかったです!!
ご参加くださいました皆様、ありがとうござました!!
また、お配りしました、田中さんに書いていただきましたテキストも
添付します。
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うごめく絵画は終わらない物語を紡ぐ
田中由紀子(美術批評/ライター)
緑色の布が周囲に施された大きな鏡が床に据えられたさまは、大地に湧く泉を彷彿させた。その上に動物や女性を模った陶の人形、ガラスの小物、懐中電灯などが置かれ、その一つ一つが描かれた絵画が壁の低い位置で鏡を取り囲んでいる。一方、群青色の幕が張られた小室では、天井から吊るされた陶の鳥や天使が丸い鏡に影を落とし、壁の高い場所にそれらが描かれた絵画が配されていた。2つの空間はそれぞれに完結しつつも、大小の鏡により緩やかにつながっているようだ。
ギリシア神話によれば、混沌から誕生した大地が天空を生み、大地と天空が結ばれて12神が生まれたのが世界の始まりとされる。世界の根源たる大地に湧き出でる泉に、生まれたばかりの小さな命が祝福されている。浅田泰子展「地に立つもの 天を行くもの」に足を踏み入れた時、そんな物語が私の中で動き始めた。
ところで、浅田は絵がうまい。物を見たままに、硬めの筆致でカチッと描く。浅田は物を集めるのが好きだ。収集は旅先で買った土産物やプラスチック製のフィギュアなど描く対象となる物ばかりでなく、包装紙や菓子の空き箱、レシートなど、絵画の支持体となる物にも及ぶ。そして、浅田は集めた物を人に見せるのも好きだ。だから、描かれた対象物も作品の一部として展示される。かつては別々の場所にあった物が、浅田を媒介にして出会い、描かれ、並べられ、干渉し合いながら、収まるべき場所を見つける。そうやって築かれた実体とイメージ、支持体の関係性が三位一体となって、鑑賞者との新たな物語を立ち上げる。
こうした浅田の一貫した制作スタイルが近年、深化を遂げている。集めた物に加え、陶の人形を自作してそれを描くようになり、筆致が柔らかく変化したのだ。「動いているような絵、かたまらない絵を描きたいと摸索していたところ、興味があり、ずっとやってみたかった陶に手を出してみたら、それがかたまらない絵を描くことにうまくつながった」という。対象を見ながらでないと描けない浅田だが、陶と向き合う時は何も見ずに、自由に形づくる。そうやってつくられた陶の人形は、緩やかなフォルムに仕上がり、それを見て描くと、自ずと筆致が柔らかくなるという。
ここで浅田が言う「動いているような絵、かたまらない絵」とは、どのような絵だろうか。それは、描かれた瞬間で止まっているのではなく、例えば、眠っていても呼吸をしているような生体感を伴っていることではないか。柔らかな筆致で描かれた絵画は、微かにうごめいているようであり、その後に続く展開を見る者に予感させる。
さて、浅田は本も好きである。2018年の個展「自作自演」から作品の一部として本が制作されてきたが、今回は本を手に取りながら展示を見るという設定である。そこには浅田が立ち上げた物語が書かれてはいるが、それを出発点にして、見る人が自分と作品との関係性から各々の物語を紡いでいける仕掛けとなっている。
イメージと実体、支持体、そして本。それらの関係性の中で、あなたはどんな物語を紡ぐだろうか。そして、物語は展覧会を訪れた人の数だけ紡ぎ出される。いまも世界のどこかにある、母なる大地の泉からいくつもの命が生み出されるように。


4月5日17時まで開催しています。
こんな時期ですので、体調が良いときに是非、お立ち寄りください。。
どうぞよろしくお願いいたします!!!
世界中でコロナウイルスに脅かされていますね。
皆さんは、大丈夫ですか。
本当に誰が感染者なのかわからないので、私も症状は出ていないけど、
みなさんにうつしていたらどうしよう。。。。。と不安になります。
今のところ、毎朝検温し36.3℃をキープ。
母も私も高血圧、我が子もてんかん持ちだから、みんなで気を付けています。
早くマスクが普及してほしいです。。。。。。
さて、今日は16時から浅田泰子さんのアーティストトークを行いました。
美術批評家の田中由紀子さんにお越しいただき
時間を短縮して1時間ちょっとのお話会。。。。。
みなさんには、入り口でマスクを必ずしていただき、
できる限り椅子と椅子の距離を開けて、
何かあったときのために、名前と住所をお願いして、
ちょっと寒かったかもしれませんが、入り口の扉を開けて、
喚起をよくして、行いました。

とても有意義な会でした。
約20名と程よい人数でよかったです!!
ご参加くださいました皆様、ありがとうござました!!
また、お配りしました、田中さんに書いていただきましたテキストも
添付します。
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うごめく絵画は終わらない物語を紡ぐ
田中由紀子(美術批評/ライター)
緑色の布が周囲に施された大きな鏡が床に据えられたさまは、大地に湧く泉を彷彿させた。その上に動物や女性を模った陶の人形、ガラスの小物、懐中電灯などが置かれ、その一つ一つが描かれた絵画が壁の低い位置で鏡を取り囲んでいる。一方、群青色の幕が張られた小室では、天井から吊るされた陶の鳥や天使が丸い鏡に影を落とし、壁の高い場所にそれらが描かれた絵画が配されていた。2つの空間はそれぞれに完結しつつも、大小の鏡により緩やかにつながっているようだ。
ギリシア神話によれば、混沌から誕生した大地が天空を生み、大地と天空が結ばれて12神が生まれたのが世界の始まりとされる。世界の根源たる大地に湧き出でる泉に、生まれたばかりの小さな命が祝福されている。浅田泰子展「地に立つもの 天を行くもの」に足を踏み入れた時、そんな物語が私の中で動き始めた。
ところで、浅田は絵がうまい。物を見たままに、硬めの筆致でカチッと描く。浅田は物を集めるのが好きだ。収集は旅先で買った土産物やプラスチック製のフィギュアなど描く対象となる物ばかりでなく、包装紙や菓子の空き箱、レシートなど、絵画の支持体となる物にも及ぶ。そして、浅田は集めた物を人に見せるのも好きだ。だから、描かれた対象物も作品の一部として展示される。かつては別々の場所にあった物が、浅田を媒介にして出会い、描かれ、並べられ、干渉し合いながら、収まるべき場所を見つける。そうやって築かれた実体とイメージ、支持体の関係性が三位一体となって、鑑賞者との新たな物語を立ち上げる。
こうした浅田の一貫した制作スタイルが近年、深化を遂げている。集めた物に加え、陶の人形を自作してそれを描くようになり、筆致が柔らかく変化したのだ。「動いているような絵、かたまらない絵を描きたいと摸索していたところ、興味があり、ずっとやってみたかった陶に手を出してみたら、それがかたまらない絵を描くことにうまくつながった」という。対象を見ながらでないと描けない浅田だが、陶と向き合う時は何も見ずに、自由に形づくる。そうやってつくられた陶の人形は、緩やかなフォルムに仕上がり、それを見て描くと、自ずと筆致が柔らかくなるという。
ここで浅田が言う「動いているような絵、かたまらない絵」とは、どのような絵だろうか。それは、描かれた瞬間で止まっているのではなく、例えば、眠っていても呼吸をしているような生体感を伴っていることではないか。柔らかな筆致で描かれた絵画は、微かにうごめいているようであり、その後に続く展開を見る者に予感させる。
さて、浅田は本も好きである。2018年の個展「自作自演」から作品の一部として本が制作されてきたが、今回は本を手に取りながら展示を見るという設定である。そこには浅田が立ち上げた物語が書かれてはいるが、それを出発点にして、見る人が自分と作品との関係性から各々の物語を紡いでいける仕掛けとなっている。
イメージと実体、支持体、そして本。それらの関係性の中で、あなたはどんな物語を紡ぐだろうか。そして、物語は展覧会を訪れた人の数だけ紡ぎ出される。いまも世界のどこかにある、母なる大地の泉からいくつもの命が生み出されるように。


4月5日17時まで開催しています。
こんな時期ですので、体調が良いときに是非、お立ち寄りください。。
どうぞよろしくお願いいたします!!!
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